大げさに言えば、世論や社会が、簡単にぶっ飛んでしまうという事例を経験したと思うので、記録しておこうと思います。かなり個人的な意見を書いていますから、不愉快に思われるかもしれません。個人のブログということで、ご容赦ください。
私事ですが、2/18(金)午後に真木病院に行き、ドライブスルー形式でPCR検査を受け、2/19(土)11時過ぎ、電話で「新型コロナウイルス感染症、陽性」の診断を受けました。オミクロン株かとか、ステルスオミクロンかとか、詳しいことは教えてもらえませんでした。診断が出て10日の自宅隔離(仕事がら、人との接触を伴うので就業制限も付加)、2/27(日)の様子で解除ということになりました。
結果的に、2月後半にあったすべての予約はキャンセル、延期とさせていただきました。大変ご迷惑をおかけしましたが、快く調整して下さった皆さま、ありがとうございます。キャンセルは、私どものお客様だけでなく、手伝いに行くことになっていた同業者様もいます。篠崎さんごめんなさい。
私どもの仕事は、医療や福祉、社会インフラ、お客様の生活維持に不可欠という種類のものではないのがせめてもの救いです。ですが、自営業ですから、働かないということは収入がないということになり、その点がちょっと辛かったかなと思います。
結論を先に書きましたので、次は時系列で、我が家と新型コロナウイルス感染症について書いてみたいと思います。
2020年1月、息子が友人のご好意でスキー旅行に出かけました。妻の妹夫婦が札幌に住んでいるので、その世話を受けてスキーと札幌の観光をしてきました。当時は日本のどこの観光地も中国人が多く、スキー場も例外ではありません。帰ってきたとき、友人も息子も風邪を発症して咳をしていました。僕も風邪をひき、かなりせきこんだことを覚えています。その後数か月、肺の下の方に軽い痛みが残っていました。後から考えると、第1波と呼ばれるもっとも強力な新型コロナウイルスに感染していたのかもしれません。
息子もすぐ治りましたし、妻にうつることもありませんでした。あとで言われるようになった「味覚障害や呼吸困難」も感じませんでした。僕の肺の痛み以外は、コロナらしい兆候はありません。ウイルスがどこまで入り込むかが分かれ道なのだと思います。その時は、友人や息子は咽頭までの感染、僕は肺まで行ったけれども、普段から医者に頼らない生き方が幸いして、生来の体内の防疫システムで耐えたのではないかと自負しています(笑。
その後は社会的な影響が大きくなりました。小学校6年生だった息子の授業参観や卒業記念行事は中止になって、さらに休校措置(涙。卒業式を保護者二人までの出席でやってもらえたのがありがたかったです。その後中学校も、入学式だけやってもらって、5月末までの休校となりました。もっとも、このあたり、記憶ではなくて、いろいろな記録を調べて書いています。忘れてしまうものですね。
休校措置や緊急事態宣言は社会への影響大でしたから、議論が巻き起こりました。誰の意見に耳を傾けるかは個人的に判断すべきことですが、僕は小林よしのり氏のブログに強く影響を受け、「新型コロナは、日本人にとってはそれほど怖くない、今の感染症対策は過剰ではないか」と思うようになりました。
その後、小林よしのり氏の「コロナ論」1、2を購入して読みました。4まで出版されているようです(驚、小林先生、ゆるい支持で恐縮です。
自宅でできる感染症対策として、「次亜塩素酸水」に興味を持ち、他の方にも押し付け気味に勧めました。大変参考になったブログ記事は、いつかここに
混和など化学反応で製造したものは次亜塩素酸水とは言えないとか、空中噴霧はWHOも認めいていないし危険だとか、手軽に手に入る次亜塩素酸水が悪者にされそうになったので、擁護活動もしました。ネガティブな報道は説得力に欠けていると感じましたから、モチベーションがわきました。あの頃は熱かったです。この論争については、勝ったと思っています。僕は全く勝敗に関わる立場ではないのですが、自分の意見が間違っていなかったというのは、嬉しいです。
今思うと、そのころは接触感染に重きを置いていましたが、「もうだまされない 新型コロナの大誤解 西村秀一」や「京大 驚きのウイルス学入門 宮沢孝幸」を読んで、相手はウイルスなのだから、飛沫(あるいはもっと細かいマイクロ飛沫)が主な感染経路だと認識するようになりました。
どんちゃん騒ぎや口角泡を飛ばすような会話がなければ、人と人が集まっても、しっかり換気し、時々お茶を飲み、時々短時間水で手を洗うといった対策で十分なのではないかと思うようになりました。
いまでもなくならない、エタノールでの手指消毒は、いったいどんな根拠でやっているのでしょうね。マスクも要らないようですが、対策すべきが飛沫だということを考えると、イメージや想像力を考慮して、撤廃まではもう少し時間がかかるだろうと思っています。
ワクチンについてはもちろん懐疑的で、この件は池田正行先生のべらんめえ調を何とか解読して、不要どころか危険と考えました。
そんな経緯で、僕はワクチンを一度も打っていません。妻は子どもの頃に肺炎で長い治療期間を過ごしたことがある、ということで2回接種を受けています。息子は15歳ですので、もちろん新型コロナワクチンのリスクベネフィットを考慮して打たせません。
対照的な二つのサイトがあります。こびナビ、こどもコロナプラットホーム 「こびナビ」は”媚び”を連想するので命名で失敗している気がします。
つい最近手に入れたのは「ウイルス学者の責任 宮沢孝幸」で、これまでを振り返ることができました。とってもさわやかな読後感がありました。
西村先生の本でも書かれていましたが、「専門家」はもちろん何かの「専門家」でしょうけれども、新型コロナウイルス感染症に対して、国家としての対策を決めるために重用された方々が、本当に適材だったのかは疑問が残るところです。「専門家」の方は職務を果たしていたけれども、監督省庁が方向性を初めから誤っていた、そして修正しなかった、ということも考えられます。そう思うのは、NHKを含めて、報道にかなり「既定の方向」があり、それにそぐわない事実や、それを指摘する専門家の意見が広まらなかったからです。
スポンサー(というか電通?)の意向がすべての民放は仕方ないとしても、NHKが政府や省庁の意向通りに報道するのだったら、税金から予算をもらって放送してほしいです。「与党に忖度して放送しています(YSH?)」と実情に合わせた社名にして。
受信料を強制徴収しているのですから、受信者だけを見て放送してほしいです。多分、NHK上層部(政府に呼ばれる立場)と下層部(制作にかかわる現場)ではものすごい葛藤があるのだろうとは察しています。お疲れ様です。
話が横道にそれましたが、自分で選択した情報に基づいて、対策ゆるめにやってきました。
2/12(土)、久しぶりに家族3人で外食したのですが、その前後から息子の具合が良くありません。13(日)朝は発熱しましたので、念のため高崎市の保健所に連絡します。休日担当医の城山クリニックを紹介されて、午前中に行きました。車の中で熱を測ると、38.4度です。息子は屋外のテントで抗原検査を受け、車に待機していた僕に、ほとんど間髪を入れず「陽性です」と電話が入りました。
こうして陽性判定が出ると、高崎市の保健所から連絡が入り、健康観察が始まります。そして陽性になった息子は、県の観察センターの管轄になるらしく、これもそちらから電話がかかってきます。
同居の家族ですから、僕も妻も、濃厚接触者となり、高崎市保健所から毎日電話がかかってきます。息子については、家族以外にも濃厚接触者がいないか聞き取り調査がありました。息子の場合、木曜日の昼休みに学校の友達と対面で話をしたことと、夕方プールに泳ぎに行って、コロナが治ったばかりの友達とプール内や帰りの道で話をしたことが取り上げられました。その後保健所がどちらのケースも直接調査して、「濃厚接触に当たらないと判断した」と連絡がありました。息子が誰かの感染源となっていないということで、ほっとしました。そして、物凄く忙しいと思うのですが、保健所の方が落ち着いた声で話して下さるのには感心しました。
息子の陽性判定後、保健所から、寝食は可能な限り別の部屋で、全員家の中でもマスク、トイレ共用の場合は、ドアノブや水道栓など消毒、換気の徹底などを告げられました。洗濯ものは一緒に洗って良いけれど、使うタオルは区別するように言われました。ですので、まだ寒かったですが、すべての部屋の窓を細く開け、寝食は別にし、マスクを着用しました。息子は特に咳やくしゃみをしませんでした。僕は換気重視だったので、窓が開いていれば良いだろうと思っていましたが、2人とも感染してしまいました。
息子の発症12日、妻の発症15日、僕の発症は17日、たぶん、息子から妻、妻から僕に、対策する前に感染していたのだと思います。
さて、県の健康観察センターの大きな業務だと思うのですが、感染者に生活必需品を届けてくれます。息子の感染が分かって3日後だったでしょうか、大きな段ボール箱が2つ届きました。食料品、飲み物、ティッシュやトイレットペーパー、そしてパルスオキシメーターが同封されていました。同居家族分を含むらしく、それはそれは大量の物資です。
援助物資
感染者には観察センターから3日ごとに電話が来ますので、毎日記録しておいた午前午後の検温や症状、パルスオキシメーターの数値を報告します。
援助物資は陽性判定のたびに届きました。(辞退する方もいるようです)。妻の時も2箱、僕の時は1箱でした。とても療養期間には使い切れない量でした。先に家族の感染を経験した友人や、普段親しくしてもらっている方々からも差し入れがありました。お気遣いありがとうございました。自粛を無視すれば買い物に行ける程度の体調でしたから、なんだか気が引ける感じでした。
症状ですが、3人とも比較的症状は軽かったと思います。息子は、検査を受けた次の日から平熱に戻りました。しかし、片頭痛が4日続き、その後は鼻水3日でした。関連はわかりませんが、花粉が飛ぶようになると、これまでよりアレルギー反応が強くなった気がしています。
妻は最高38.4度の熱でしたが、やはり1日で平熱に戻り、だるさが残りました。その後はのどの痛み、鼻水と痰が1週間続きました。
僕は夜明け前に悪寒を感じたと思ったら、午後発熱、次の日39度を記録しました。熱は2日残りました。ただ39度出た時も、その晩はぐっすり休めたんです。もっとも、熱は体に影響を残しました。長引く筋肉痛です。特に腹筋の痛みが続き、背中の節々の痛みや、リンパ節の痛みも残りました。痰が出ましたが、緑色にはならず、黄色でした。症状がなくなるのに一週間かかりました。
息子も妻も僕も、味覚症状の異常はなく、食欲もあり、僕などはラーメンでもカレーでも食べられました。お酒を飲んでも大丈夫でした(保健所の指導では禁忌とされています)。快適ではありませんでしたが、仕事をすっかり休んで家でのんびりしていましたし、毎日よく寝たので、回復に作用したのではないかと思っています。
息子は頓服と、痰を軽くする薬をもらいましたが、妻も僕も薬を辞退しました。結局息子も薬を飲みませんでした。体がウイルスと戦う自然な反応を起こしているのに、それを妨害してどうする!と僕は思っています。他の方には推奨しませんが。
そんなわけで、2年以上のスパンがありますが、息子と僕は第1波で一度感染し、弱毒化して感染力を上げた第6波で2度目の感染を経験したと理解しています。感染して自分の体力だけで治ったので、自然の抗体を獲得したと思っています。勝手な思い込みですが、また次の変異したコロナウイルスが流行った時には、まだ感染していない人への防壁になれるのでは?と期待しています。
コメントありがとう